モダンアート屋久杉 世界遺産屋久杉製美術品の通販 モダンアート屋久杉

つまらねえ喧嘩 悲しみの涙と怒りの炎でできた筋肉

つまらねえ喧嘩 悲しみの涙と怒りの炎でできた筋肉

 ぼっけもんずには絶えず喧嘩《ケンカ》が常に付きまとっていた。私は中学2年になっても兄が持っているジークンドーの本を見ながら、兄の練習風景を手本にして、壇中《ダンチュウ》を打ち抜く練習と懸垂に加え、相手のパンチやキックを事前に捌《サバ》き、ストッピングする練習に明け暮れていた。喧嘩に自信があるため私は自然体でいられた。

 

 

 

    TEAM BOKKEMONS

   最古参は44年間の付き合い

 

 

     道を極めるお二人

 

 ところが、2学期の頃からバックに少年院帰りの危険な先輩や暴走族に入っている先輩たち数人に囲まれ、
「お前、名前を教えろよ。」
「乾 彰です。」
「はあっ?いぬい?変な名前だなあ~。お前よお、いつも学校帰りに桜団地を通るだろう?」
「はい、通学路ですから。」
「お前、何よ、その堂々とした言い方はよお~。」
「普通ですよ。」
「はあっ?普通?舐めてんのか、こらあ!」
「いや、舐めてませんよ。」
「その態度が舐めているっていうんだよ!お前、明日、学校帰りに桜団地の北公園に来いよ。」
「はあっ?何でですか?」
「何でじゃねえんだよ!来いっつたら、来るんだよ!」
「じゃあ、分かりました。来ます。」
 と返事をした。私は内心、ドキドキしていた。よりによって、バックがヤバい連中の先輩たちに目を付けられてしまったからだ。私は内心「あの集団相手に喧嘩か?喧嘩すんのか?タイマンなら自信あるけど、十数人を相手に勝てるのかよ?」とだんだん心配になってきた。

 翌日の帰り道、私は桜団地の北公園へ行った。北公園は急なカーブの所にあり、死角になって見づらい場所にあるのだ。北公園に着く20m手前で、暴走族のバイクが数台、そして、シャコタンの車が1台止まっていた。「あっ、ヤバい、マジ、ヤバい。」と心の中でつぶやいたがもう手遅れだった。北公園に入るなり、康雄君と呼ばれている先輩から肩に腕を回され、
「お前が乾か?」
「はい、そうです。」
「ふ~ん。そうか。じゃあ、今からタイマン勝負やらせてあげるからよお~、俺はお前に賭けてるんだよ、絶対勝てよなあ~。相手は同学年のアイツだ!アイツも生意気だからよお~、思い切り殴り合って来いよなあ~。」
 私は、ドスの効いた低い声で、ヤクザのように脅《オド》された。相手の顔は知っていたが、名前も知らないし、話したこともない奴だった。結局、生意気だと思う後輩同士をタイマン勝負させて、賭け事をしているのだと直ぐに分かった。まだバイクに乗ってふんぞり返っている暴走族の先輩たちは、後輩に一万円札を渡しているのを見た。「あ~っ、しまったなあ~、よりによって、康雄君が絡《カラ》んでいる。この人は強い。一度、喧嘩を見たことがあるが、力もあるしスピードもある。暴走族の後ろで旗を振っているという噂を知っていた。私は本当にヤバい人に絡まれた。50人程度のギャラリーが集まってきた。
「よし、もういいな、じゃあ、北野、来い。乾、来い。」
「俺が『始め!』と言ったらよお、タイマンやれよ、いいか。気を抜くんじゃねえぞ!」
 私は公園全体が芝生でホッとした。これなら壇中《ダンチュウ》が狙える。後は、兄に教わった通り、1、2発相手に殴らせてからの正当防衛作戦だ。
「始め!」
 いよいよタイマンが始まった。私は敢《ア》えて自分から攻撃をしかけずに、両手を空に向けて、「かかって来いよ。」と挑発した。すると、北野が顔面を殴ってきた。一瞬、フラッとした。シャツの袖で鼻を拭くと鼻血が出ていた。心の中で、「あ~、今の一撃は効いたなあ。」とつぶやいた。こいつ、結構、パンチ力があるぞ。もう、いいよな。北野が左ジャブを打つ瞬間が分かった。利き腕の右手で捌《サバ》いた後、
「ダンッ。」
 と地面を足で叩きながら速攻で
「ドン!」と壇中《ダンチュウ》を打ち抜いた。
 北野は5mほど吹き飛ばされ、胸を押さえながら大声で苦しんでいた。
「痛え、痛え、痛えよお~。息ができねえよお~。」
勝負はついた。

周囲から大歓声が上がった。
「マジかー!すげえじゃん、乾の攻撃、すげえじゃん。」
「スゲー!」
「スゲー!」
「乾、強ええじゃんよお~。」
「北野が吹き飛んだぞ、普通、あんなに吹き飛ぶかあ?」
 私は北野の肋骨の骨折が心配になり北野に駆け寄った。
「北野、どこがいたい?」
「ここ。」
「他は?」
「ここだけがもの凄く痛い。」
「もうしばらくそのままにしていろ、家に帰ったらシップを毎日貼れよ。」
 と声を掛けた。

 それから毎週のようにタイマン勝負に呼ばれ、賭け事のために戦った。やるせない気持ちになった。何度も兄に相談しようと思ったが、兄が出ていくと抗争になるので兄には決して言わなかった。兄の仲間たちも血の気が多い人が多く、隣の大きな都市を仕切っている方々だったからだ。

 

 その日以来、毎週のようにワイシャツが破け、ボタンが千切れ、母からの心配事や注意事が多くなった。先輩たちが卒業するまでの5カ月間、毎週のようにタイマンをさせられた。正当防衛のために最初は殴られていたが、その痛みより、相手を殴った後の相手の痛みの方が私には痛かった。そんな状況の中、私のタイマン勝負の応援に駆けつけてくれたのが野田溜之介だった。彼は私の心情を理解してくれた。ワイシャツが破かれるため、体育服でタイマンをするようになったが、勝っても全然嬉しくなかった、でも、自分には十数人の暴走族の連中を相手に勝てる気がしなかった。野田溜之介がそっと、私の学生服を着せてくれる優しさが嬉しかった。

 

 結局、私にあてる対戦相手がいなくなり、1月頃にはタイマン勝負に呼ばれなかった。かえって、廊下で先輩たちとすれ違うとき、挨拶をされるような立場になっていた。私は、康雄君にもタイマン勝負を申し込まれても負ける気が全然しなかった。もう「壇中」狙いだけでない方法で康雄君を立てなくする方法を幾つも身に付けていたからだ。

 

 しかし、これほどつまらない喧嘩はない。知りもしない、憎しみも、恨みもない相手を殴ること自体が間違っている。私はそれに抗う力がなかった、こんな虚しい喧嘩はない、こんな喧嘩をするために生まれてきたんじゃない。私が求める正義漢はこんなんじゃない。二度とこのような喧嘩はしないと誓った。

 

 私と桑田弘正と嶺長鉄之進は中学へ卒業し、隣町の進学校へ通った。一方、福山智勝や白部和隆は都市部の進学校へ通った。高校ほどつまらない学校はなかった。だからあまりしゃべりたくない。ただ、私の周りには中学校時代にいじめられていた連中が多かった。そういう連中は自然と私の周りに集まってきた。私の仲間を中学校時代にいじめている奴を便所に呼んで、
「お前、川部を中学校時代にいじめていたらしいな。川部をいじめる前に俺と校庭のど真ん中でタイマンしろよ。約束を破る奴は、俺がぼこぼこにしてやるからな。」
 と楔打《クサビウ》ちをしていた。勿論《モチロン》、他の仲間にも同じように。
だから、私の周囲にいる友達をいじめる奴は一人もいなくなった。「いじめる奴をいじめる、いや、仕留める。」私はそう周囲に公言して憚《ハバカ》らなかった。

 

 高校では、体育服がランニングだった。だから、私の筋肉はやたらと目立ち、噂になっていた。だから、誰も喧嘩をうってっこなかった。電車の中で他校生の中に私を睨《ニラ》んでくる奴がいた。私は、普通に
「お前。俺をずっと睨んでいただろう。俺がお前に何かしたか?それとも喧嘩を売っているのか?タイマン勝負してみるか?」
 と尋ねると、
「てめえの態度が気に食わねえんだよ。タイマン勝負でぶちのめしてやるよ!」
と威勢のいいことを言うので、高校へ行く途中に寄り道をして、木に囲まれた誰もいない公園があった。それで、私は、相手が左ジャブから右ストレートを狙っていることを見抜いていたので、左ジャブを捌き、右ストレートがくるまえに壇中を狙って一発で仕留めた。そのうわさが広がり、他校生は、誰も喧嘩を売ってこなくなった。

 

悲しみの涙と怒りの炎でできた筋肉 高校1年

腕よりも背筋と腹筋の方が凄かった 懸垂36回

 

 そんなある日、隣町の中学校で元番長をしていた野球部もキャプテンをしている赤谷が私の所へ来て、
「おい、彰、確か野田溜之介は、お前のマブダチだったよな?」
 と尋ねてきた。
「おお、そうだが。どうかしたのか?」
「野田溜之介はよお~、控えのピッチャーをしているんだが、高校最後の県大会前に
暴力事件を起こして謹慎《キンシン》処分になっているんだよ。エースピッチャーの
浜崎に手刀《シュトウ》でぼこってよお、肩甲骨を骨折させたんだよ。野田溜之介って奴は、そんなに強いのか?隣の高校の野球部は出場停止処分になるかも知れねえらしいぜ。」
「あ~っ、野田溜之介ね、あいつ強いぜ。マジギレしたら俺でも逃げるね。」
「そんな危ねえ奴とお前つるんでいて平気なのかよ?」
「いい奴だぜ。」
「いい奴が、同じ部員をぼこぼこに殴るのか?」
「じゃあ、俺が野田んちに行って、理由を聞いて来てやるよ。」

 翌日、赤谷がやって来た。
「彰、野田んちに行ったのかよ?」
「おお。行ったよ。」
「そんで、野田はなんて言ったのか?」
「高校最後の試合ぐらい俺が投げたかったから。打ったくった(殴った)と言ってたぞ。」
「はあっ?馬鹿か?暴力事件起こしといて、出場停止処分になるんだぞ!」
「あー、それ聞いたけど、本人は何も考えてなかったらしいぜ。」
「マジか?どんだけアホなんだ?」
「俺や赤谷のレベルじゃ、野田溜之介のことは理解できねえよ、ハハハ。」
「ハハハじゃねえんだよ!俺たちの野球部は、県予選で浜崎と真っ向勝負したかったんだよ。」
「赤谷、野田溜之介の方が球、速ええぞ、コンスタントに140㎞出すぜ。」
「彰、そのぐらい知ってんだよ。でも、連続ファーボール7度連続で出すから、監督さんが野田を使わねえんだよ。」
「アハハハ。おもしれえな。溜之介らしいや、アハハハ。」
「アハハハ、じゃねえよ。野田が浜崎とその親に謝るのを拒否って、大事になりそうなんだよ。お前が行って、説得してくれよ。」
「いいよ、説得してくるよ。」

 その日の夕方、私は、野田溜之介の自宅へ行き、野田溜之介に話しをした。私は敢てわざと、
「溜之介、お前、浜崎の家に行って、浜崎と親にちゃんと謝って来いよ。骨折させておいて、謝罪に来ねえから、裁判だってよ。お前、少年院送りじゃねえか、ギャハハハ。溜之介、お前、少年院に行ってヤクザになれよ、そんで、俺にベンツ買ってくれよ。ギャハハハ。」
「彰、マジの話か?」
「うん、マジだよ。俺にベンツ買ってくれよ。」

 

 その日の夜、野田は、両親と一緒に謝罪に行き、治療費と慰謝料を払って問題は鎮静化したらしい。それを知った赤谷が、お礼に来てくれた。
「彰、今回は世話になったな。ありがたかったぜ。出場停止処分になるって他のメンバーの連中が可哀そうだからな。本当にありがとうな。でもよお、数日前に、帖佐駅で、ぼっけもんずの中鳥俊二が蒲田高校の田中にバックドロップして警察が来てたらしいぞ。お前のチームは、本当に危ない連中ばっかだな。」
「ギャハハハ、俊二は鹿商川高校のレスリング部だぜ。きっと、喧嘩でバックドロップしたかったんどろうな~。あいつも出場停止処分になるなあ~、ギャハハハ。」
「彰、お前、そんなんでいいのかよ?コンクリートの上でバックドロップしたら、下手すると田中、死んでたぜ?そうなりゃあ、裁判で少年院送りだぜ。」
「ああ、そうか?」
「ああ、そうかじゃねえだろうが!彰、お前がリーダーだろうが!」
「赤谷、ぼっけもんずの連中は、俺の言うこと聞きやしねえぞ。一匹狼の集まりだから、好き勝手なんだよ。ギャハハハ。」
「彰、違うだろう、一匹ライオンだろうがよ!」

 私の高校時代はこんな感じだった。勉強をする気が湧かないし、将来の目的も見つからなかったからだ。
 そして、高校の卒業式の日、私と一緒につるんでいた4人のダチが来て、
「彰、本当にありがとう。お前がいたから俺たちはいじめられなくて済んだ。本当に、本当にありがとう。」
 と言われた。それがとても嬉しかった。

 私は歩きながら空を見上げながら「つまらねえ、高校時代だったな。」と晴れ晴れとしない漠然とした気持ちで滅入ってしまった。

 

 そんな私の姿を見抜いた父に言われた。

「おい、お前は教育学部へ行け?」

「はぁ?」

「お前みたいなやつは教育を学び教師になれ。」

 

 

【注意事項】
『壇中《ダンチュウ》』を狙った打撃は、人を殺《アヤ》めてしまう危険性のある技です。絶対に真似をしないで下さい。この小説には、この技がこれ以降も登場してきますが、絶対に真似をしてはいけません。

関連情報

世界遺産屋久杉の木工美術作品 Modern Art Yakusugi

モダンアート屋久杉 モダンアート屋久杉

伐採全面禁止から二十数年経ち、伐採以前の屋久杉は〇国による買占めで後5,6年で枯渇すると言われています。そのため、この機会のを逃すことなく、次の世代に引き継ぐために、世界遺産屋久杉と御神木の木工美術作品の所有者になりませんか?

屋号 釣り心研究所
住所 〒899-5241
鹿児島県姶良市加治木町木田1166-25
営業時間 10時~20時(土日祝除く、月1~2日程度通院のため臨時休業あり)
定休日 土日祝、月1~2日程度通院のため臨時休業あり
代表者名 乾 丈太
E-mail info@modern-art-yakusugi.com

コメントは受け付けていません。

特集

モダンアート屋久杉 世界遺産屋久杉製美術品の通販 モダンアート屋久杉

〒899-5241
鹿児島県姶良市加治木町木田1166-25

営業時間 / 10時~20時
(土日祝除く、月1~2日程度通院のため臨時休業あり)
定休日 / 土日祝、月1~2日程度通院のため臨時休業あり