モダンアート屋久杉 世界遺産屋久杉製美術品の通販 モダンアート屋久杉

正義漢の源流 酷いいじめに耐えた少年

正義漢の源流 酷いいじめに耐えた少年

これは今から47年前に私が実際に経験した話です。勿論《モチロン》、名前は仮名です。
 私の名前は、|乾 彰《イヌイ アキラ》。私の父は、国家公務員でした。そのため転勤が多く、小学校だけで4つの学校を転校しました。

 私の髪の毛は、生まれつき茶色ぽかったため人前で目立っていました。転校初日からいつも名字《ミョウジ》と髪の毛の色でからかわれました。
「『いぬい?』変な名前だな。『いぬ?犬っころじゃねえのか?』みんなでどんな奴か、からかってみるか?」
「髪の毛が茶色だぜ、『変な外人か?』、『宇宙人なんじゃねえか?』髪の毛を抜いてやろうか?」
 私は、身長が低く、どの学校でも、いじめの主犯格2,3人ととその取り巻きの4、5人からからかわれ、我慢して耐え続けていました。
 すると、今度は、腕をつねられたり、ひっかかれたり、足ですねを蹴られたりしました。その行為を我慢しているとどんどん暴力はエスカレートしていきました。拳で頭を殴られたり、登校中に後ろから走ってきて、カバンに跳び蹴りを喰らわされ転倒したり、廊下ですれ違うと胸にパンチをされたりしました。

 私は成人して大学院で心理学を学びましたが、現在も47年前も、「いじめの四層構造」は変わらないことに気付かされました。「いじめの四層構造」とは、社会学者の森田洋司先生が提唱した概念《ガイネン》です。いじめは加害者と被害者だけではなく、観衆と傍観者《ボウカンシャ》を加えた四層の中で拡大していくのです。分かりやすいように私を例に説明します。
 より分かりやすいように例えられるのが、楕円形《ダエンケイ》の図を用いた説明です。1つめの楕円形の中心は、いじめられている被害者がいます。それが47年前の私でした。それを囲むようにもう一つの楕円形の線があり、その中には、加害者がいます。私は、今でもその人間の名前をはっきりと覚えています。いや、寧《ムシ》ろ、心に深い傷跡として刻み込まれています。この楕円形の線が2つで、2層構造となります。

 そして、その2つの楕円形の線を囲むように、もう一つの楕円形の線があります。その楕円形の線の中には、観衆《カンシュウ》がいます。観衆とは、直接的に暴力を振るうことはありませんが、被害者の私がいじめられている様子を見て笑ったり、声を出したりして面白がっている連中です。
 さらに、楕円形は外側にもう一つの楕円形が存在します。その楕円形の線の中には大勢の傍観者《ボウカンシャ》がいます。傍観者とは、見て見ぬふりをする連中のことです。いじめを止めさせようとする仲裁者も傍観者に分類できるそうですが、私の場合、そんな意思表明のできる勇気のある者はいませんでした。この「被害者」「加害者」「観衆」「傍観者」の関係性を、いじめの4層構造と呼ぶのです。

 

 転校初日からいじめは必ず始まった。
「おい、いぬっころ。『ワン』と吠えてみろよ?」
「違う!ぼくは、『いぬい』だ!」
「嘘つけ!『いぬ 』のくせに!」
 教室ではこれですんだが、教室に担任がいなくなったり、廊下や靴箱では、頭を叩かれたり、ほっぺたをたたかれたり、足を蹴られたりした。特に掃除の時間は最悪だった。担任がいない時を見計らって。放棄《ホウキ》で叩《タタ》かれたり、背中に膝蹴《ヒザゲ》りを喰《ク》らったりしていた。
「ドン!」
「ガツン!」
「ボコッツ!」
 体の大きな奴が主犯格で土屋武という。土屋は私に足払いをして、いつも私を廊下で倒した。
「ドッ!」
「ドッ!」
「ドッ!」
 廊下に倒れ込んだ私に、子分たちが容赦《ヨウシャ》なく思い切り蹴《ケ》りを入れてくる。特に、背中は思い切り蹴られた。
「おい、茶色毛の犬っころ!先生に言ったら殺すからな!」
 私は頭を蹴られて朦朧《モウロウ》とした意識の中で土屋たちに言い返した。
「クソガッ!お前ら全員、覚えてろよ!」
「何だと、もういっぺん言ってみろよ!」
 私の言い返した言葉にキレた土屋は、横たわった私の胸と腹をさらに思い切り蹴り始めてきた。
「ドッ!」
「ドッ!」
「ドッ!」
「ウグッ!」

 

 私は、そんな過酷ないじめに1年生の頃から4年間ずっと一人で我慢し、耐え続けてきた。父や母、兄に相談したかったが、「親や兄に心配をかけたくない。」「親に私がいじめられていた存在であることを知られたくない。」という一心で、ずっと耐えていた。そんな私だったがいい友達もできた。でも、仲良くなって一緒に遊ぶようになりかけた頃には、父の転勤で「さようなら」だった。
 私はこんな日常に嫌気がさしていた。私は強くなりたかった。いじめる相手が7、8人いようが、コテンパンにやっつけたかった。でも、自宅の机に座ると涙が止まらなかった。私は裏庭に行き、声をあげて泣いた。
 そこへ、4学年上の兄が傍《ソバ》に寄ってきた。
「彰、いじめられて殴られたのか?」
「・・・・・。」
「彰の腕や体のあざがずっと気になっていたんだ。彰、いじめられることは恥ではない。いじめは弱い者がすることだ。彰、泣け、うんと涙を流せばいい。人間の目は物を見るためと泣くためにあるんだぞ、それでいいんだ。」
 兄の言葉を聞いて私は号泣した。

 

 しばらくして兄が私に言った。
「彰、『涙』という字は、どう書くんだ?紙に書いてみろ。」
「分からない。書けない。」
「そうか、書けないか。ノートをよく見てみろよ、涙って『サンズイ』に『戻る』と書くんだ。だからなあ~、辛い時は泣くんだよ。人に見つかりたくなかったら、家の裏で泣けばいい。『涙』という字の『サンズイ』はどんな意味があるか知っているか?」
「うん。水という意味だよ。」
「そうだ、その通りだ。うんと『涙』を流したら、元の自分に『戻る』のさ。だから泣いた後はすっきりするだろう?泣くことは弱さではないよ。うんと涙を流して元の彰に戻ればいい。」
「彰、それから『泣く』っていう字はどう書く?」
「それなら書ける。」
「そうだ、『サンズイ』に『立つ』と書く。泣いて、泣いて、泣きじゃくった後は、立ち上がるんだよ。だから思い切り泣くといい。ちなみに、彰、『涙』は何でできているか知っているか?」
「う~ん、分からない。」
「『涙』はなあ、お前の血でできているんだよ。赤血球という赤い細胞があるから血は赤いんだ。でも、目の奥の膜を赤血球が通れないから、透明になって涙になるんだぞ。」
「へ~っ、知らなかった。もし、僕がいじめられて家の裏で泣いてばかりいたら出血多量で死ぬのかな?」
「ハハハハハ。大丈夫だ。死なないよ。どれぐらい涙を流せばいいか、お前の体がちゃんと教えてくれる。だから心配は要らないのさ。」

 今から47年ほど前の時代は、校内暴力全盛期の時代だった。兄は、中学校を3つも転校を繰り返していた。兄も強くなりたかったんだと思う。
兄は、弱音や愚痴《グチ》をはかず何も言わなかったが、帆布性《ハンプセイ》のサンドバッグを通販で購入し、車庫に吊り下げた。また、車庫の横に父に頼んで高鉄棒を作ってもらった。兄はブルース・リーに憧れ、ジークンドーという月刊誌を注文し、食い入るように読みながら、構えから足の動かし方や手の動かし方が写真と図で描いてあるページを読みながら、一人で練習を始めていた。当時のサンドバッグはウオーターバッグではなかった。帆布性《ハンプセイ》の布に砂を入れると、コンクリートのように硬かった。

 

 兄は、最初から素手の拳でサンドバッグを叩いていたのだろう。拳の皮は爆《ハ》ぜ、兄の血と拳の皮はサンドバッグに染み込んでいた。そして、1週間も経つとサンドバッグに染み込んだ兄の血と皮膚は真っ黒に変色していた。お金のない兄はグローブを買うことができず、ハサミでタオルを切り、それを拳に巻いて叩いていた。

 

 兄は、ジークンドーの月刊誌を何度も読みながら毎日3時間は練習していた。車庫に吊《ツ》るしていたサンドバッグから毎日夕方になると鈍い音が響いてきた。サンドバッグを叩き、次にハイキックの練習が済むと、今度は高鉄棒で懸垂《ケンスイ》をしていた。必死の形相《ギョウソウ》で懸垂をしていた。兄はそれをずっと繰り返していた。車庫も高鉄棒も私の部屋の直ぐそばだったので兄の練習風景がはっきりと良く見えた。必死な表情でサンドバッグを叩き続ける兄。校内暴力全盛期に中学校を3つも転校した兄。言葉では言わなかったが、兄がどんな酷い目に遭ってきたか容易に想像することができた。

 

 ある日、まだ兄が帰宅していない時間を見計らって、兄の部屋にこっそりと入り、
兄が通信販売で読んでいる「ジークンドー」の本を読んでみた。最初のページはブルース・リーの写真だった。本の半分はブルース・リーの写真や映画の写真だった。
 本の後半は、「ジークンドー」の内容が書かれていた。文章を読んでも難しい漢字が多く読めなかった。でも、基本的な構え方や足跡の形の図やその動かし方が矢印で描かれていた。本のページをめくってみると驚いたことに、空手の世界大会にブルース・リーの写真が載っており、椅子に座った人の体とブルース・リーの拳の位置が僅《ワズ》か2.5cmほどしかないのに、ブルース・リーがパンチを打つと、椅子に座っている人が、椅子に座ったまま7~8m後方に飛ばされていたのだ。
 小学生の私でさえも、パンチは、相手の体との間合いを長くとって、相手の体や顔面に打ち込むものだと信じていた。でも、ブルース・リーの「ジークンドー」は相手の体と自分の拳の間合いが2.5cm程度で、相手を7~8m吹き飛ばしていたのだ。私は、全く信じられなかったし、文章で書かれている内容も分からなかった。

 

 それから毎日のように、兄が帰宅する前に「ジークンドー」の本を読み漁《アサ》った。ボクシングとは全く違う構えだということは理解できた。足の位置が直線に近いことに驚いた。「なぜ、直線なのか?」私は心の中でつぶやいた。

 

 しかも、無数の足型の動かし方の下には、フェンシングの写真が5枚ほど載っていた。「なぜ、ここでフェンシングの写真が出てくるんだ?」私は心の中でつぶやきながら考えこむことが次第に多くなってきた。文章の読めない小学生の私にとっては、難解だったのだ。

 

 そんなある日のこと、朝から大雨だったため、全校朝会が体育館で行われることになった。校長先生の話を聞いているときに、私の前にいる同級生に話しかけられたので、その同級生と話をしていた。
 すると、いきなり学級担任がやってきて、思い切り往復びんたをされた。私はその衝撃で倒れてしまった。話しかけてきた同級生も同じように倒れ込んでいた。

 心理学には「モデリング」という概念がある。人の行為の真似をすることを「モデリング」をいう。今回のその担任の行為は、悪いモデリングに該当する。つまり、周囲の児童たちに「こいつならこの程度の暴力を振るってもいい。」という悪影響の認知をさせてしまうのだ。
 これがきっかけになって、私のクラスでは、担任がいないとき他の子ども同士が喧嘩《ケンカ》をする時に、往復びんたをするようになった。驚くべきことに、女子同士の喧嘩でも往復びんたが見られるようになった。

 教師は、「聖職者でなければならない。」という理由はここにある。日記帳の提出を忘れた子どもが2人いた。1人の女の子は、成績が優秀。父親がPTA役員でしかも学校歯科医だった。その子には優しく注意して終わった。ところが、もう1人の男子は、日頃から授業中にうるさかったり、忘れ物が目立ったり、トラブルの多っかったりした子どもだった。でも、人をいじめる悪い奴ではなかった。だから私は仲良しだった。そんな友達を、教師は、本を丸めてその男子の頭とほっぺたを思い切り叩いていた。その男子は鼻血を出して泣いていた。この行為も教師による悪いモデリングである。学級の子どもたちを震え上がらせるだけでなく、「この男子には、ここまでしていいのだ。」というモデリングを提示しているのだ。
 子どもは善しにつけ、悪しきにつけ、人の真似をする。「この男子には、ここまでしていいのだ。」という悪しきメッセージが学級全員に伝わると、その男子をばかにしたり、教科書を丸めて頭やほっぺたを殴ったりする行為が蔓延《マンエン》した。

 私は、土屋一派からこのようないじめはうけなかったが、依然として人気のない所で蹴られたり殴られたりする行為はずっと続いていた。私はこの頃から、心の中で「転校する前に、こいつらをぶちのめしてやる。」という復讐を誓った。

関連情報

世界遺産屋久杉の木工美術作品 Modern Art Yakusugi

モダンアート屋久杉 モダンアート屋久杉

伐採全面禁止から二十数年経ち、伐採以前の屋久杉は〇国による買占めで後5,6年で枯渇すると言われています。そのため、この機会のを逃すことなく、次の世代に引き継ぐために、世界遺産屋久杉と御神木の木工美術作品の所有者になりませんか?

屋号 釣り心研究所
住所 〒899-5241
鹿児島県姶良市加治木町木田1166-25
営業時間 10時~20時(土日祝除く、月1~2日程度通院のため臨時休業あり)
定休日 土日祝、月1~2日程度通院のため臨時休業あり
代表者名 乾 丈太
E-mail info@modern-art-yakusugi.com

コメントは受け付けていません。

特集

モダンアート屋久杉 世界遺産屋久杉製美術品の通販 モダンアート屋久杉

〒899-5241
鹿児島県姶良市加治木町木田1166-25

営業時間 / 10時~20時
(土日祝除く、月1~2日程度通院のため臨時休業あり)
定休日 / 土日祝、月1~2日程度通院のため臨時休業あり