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釣りの御神木製御守は2度の臨死体験と死後の世界から蘇った人が創ったのですか?

釣りの御神木製御守は2度の臨死体験と死後の世界から蘇った人が創ったのですか

 はい、そうです。釣行安全と大漁祈願と交通安全を1つにした釣りの御神木製御守は、二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界から蘇った人が創った釣りの御守です。釣行安全と大漁祈願と交通安全を1つにした釣りの御神木製御守とは、勿論(もちろん)、交通安全御守と釣行安全御守と大漁祈願御守の祈念を1つにした釣りの御守のことを意味します。その御守の名を、釣りの御神木製高級御守SafetyFirstといいます。まず先に釣りの御神木製高級御守SafetyFirstの意味を知るためにその内容を説明しておきます。

 

 大漁祈願成就のためには、釣行安全が前提となります。しかし、それだけでは十分とは言えないのです。釣行安全成就のためには、車を運転して釣り場まで安全にたどり着き、釣行安全の意識を念頭に置きながら釣りを満喫し、その結果として、豊漁をもたらすのです。さらに、これだけでも十分とは言えないのです。最後に、安全運転に心掛け、交通安全運転に気を付けながら無事に帰宅するまでの一連の流れが「釣り」なのです。
 したがって、釣りとは、交通安全に気をつけて無事に釣場までたどり着き、交通安全に気を付けながら無事に帰宅するまでが肝心なのです。釣行安全御守の祈念と大漁祈願御守の祈念の下支えになるのが、普段見落としがちな交通安全御守の祈念であることを肝に銘じるべきなのです。この3つの御守の祈念を1つにした釣りの御神木製高級御守SafetyFirstは、御神体の依代になる御神木でできているため、1つの御守に集約することができるのです。加えて、釣りに行かない日常生活においては、玄関に飾ることにより風水学にちなんで「魔除け」や「交通安全御守」の役割を果たすことが期待できます。

では、ここで釣りの御神木製高級御守SafetyFirstの定義について説明します。

 

【図1 御神木製釣りのお守りSafetyFirstの概念図】

 

【釣行安全と大漁祈願と交通安全を1つにした釣りの御神木製高級御守SafetyFirstの定義】【図1参照】

 

釣りの御神木製高級御守SafetyFirstは、釣りに出かける前にその御守をじっくりと見つめることで、その視覚情報が人の脳の前頭前野にある安全意識にスイッチを入れ、はやる気分をクールダウンし、落ち着いた気持ちで安全運転に心掛け、安全に釣り場に到着する交通安全御守の役割を果たします。そして、釣りの準備から後始末までを含めて、釣行安全御守の祈念を常に念頭に据えながら釣りを存分に満喫し、その結果として大漁祈願を成就する豊漁に恵まれるのです。さらに、交通安全御守の祈念を忘れずに休息をしたり仮眠を取ったりするなどして無事に帰宅するという確固たる意識と絶え間ざる祈念を意味する広い概念を網羅することから、御神体の依り代となる気高く高潔な御神木で創った御守りが釣りの御神木製高級御守SafetyFirstです。

若き教師の頃に経験した心に空いた埋めようのない穴

 

 私の物の見方や考え方、感じ方は、私の数奇な経験により、胸の中から熱い想いと共に湧き出でた発想に基づいています。
 なぜなら、私は、二度の心肺停止とその後の臨死体験、そして、臨死体験後の世界を知る人間だからです。私の人生は、数奇なパズルでできています。

 

 教師になり4年目が終わろうとしていた時期に、交通事故で、わずか8歳の教え子が突然、交通事故でその尊い命と豊かな未来を奪われてしまったのです。青信号で横断していたにもかかわらず、百数十トンのクレーン車で数百メートルも下敷きとなり、身元確認に駆け付けたお母さんは意識を失い救急搬送されました。

 警察署から学校に電話があり、私の身分を証明する運転免許証を携え、私は鹿児島で最も広い6車線の国道へ自転車に乗って現場へ急行しました。身元確認をさせて頂きました。ブルーシートで幾重に囲まれた事故現場を見た瞬間、私の目の前の空気はグニャグニャと歪み、曇天の空はグルグル回ったのです。

 

 現実を現実のものとして受け入れることを「同一性」といいます。そのときの私は、既に脳がダメージを受け、現実を現実のものとして到底受け入れられずに、目の前にある世界を厳然たる世界として理解することのできない状態になっていたのです。身元確認をしていた現実を覚えていません。心神喪失の状態だったのです。私の体から意識は喪失し、解離した状態になってました。身元確認後、そのまま警察署に行き、警察官から伝えられました。「先生は、立派じゃった。抱きしめて最期を見届けたど。何度も何度も、『痛かったね、痛かったね、〇〇ちゃん』と大声で泣いちょったど。」

 その後私は、心的外傷後ストレス障害になりました。つまり、PTSDです。その場面を突然、断片的に思い出し、立っていることができなくなり、しゃがみ込んで泣き、パニックになることがたびたびありました。私は強さをはき違えていたと思いました。

 

 その事故の日から毎晩、谷山港という大きな港に通いました。妻をとても不安にさせました。突然、無意識のまま早春の港に飛び込み、その息苦しさと海水の冷たさで「海中じゃ、ここは海中じゃ」と気付き、堤防まで泳いだんです。スーツのままで。こんなことをして何になるという判断力さえ失っていました、あの当時は。亡くなった〇〇ちゃんは、直ぐ近くの高層マンションに住んでいました。彼女の部屋も覚えています。礼儀正しく甘えん坊な子どもでした。いつも私の膝の上に乗り、私の髪の毛とほっぺたをいじってくるのです。ほんの40分前まで生きていたんです。いまだに、私の太ももは、彼女のぬくもりをちゃんと覚えています。

 

 命って、なぜ大切なのか分かりますか?それは、儚(はかな)いからです。儚いという漢字は、にんべんに夢と書きます。昔の人は本質を見抜いていた。にんべんは人を意味します。彼女という人間が生きていたことがまるで夢のように感じるのです。彼女を亡くしたことによる対象喪失。「対象喪失」とは精神医学や臨床心理学で用いられる言葉です。端的にいうと、胸に大きな穴がぽっかり空いた状態です。何を入れようが、何を詰め込もうが、埋まりようのない穴なんです。底がないんです。だから埋めようがない。それが対象喪失。私は死ぬまで彼女の突然の理不尽で無慈悲な死と彼女との豊かな思い出を傍らに抱いて生きてゆくことを引き受けなければならないのです。

 

二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界の経験を知る

 私はその後、PTSDになったまま教師を続けました。強さをはき違えていた私は自分の心の弱さや悲しみを学びたくて大学院派遣制度を活用して、受験し、心理学を専攻しました。マスター号を取得後、県の児童自立支援施設へ出向。その施設は、親からの虐待や育児放棄、問題行動などにより児童相談所で保護された子ども達と鑑別所と裁判所から送致されてくる子どもを預かり、子育てをやり直すところでした。大学院で心理学を学び、学級崩壊したクラスを幾度も立て直してきた実績がそうさせたのです。この施設で子供たちが社会性と規範意識を身に付け、立ち直らなければ、少年院と少女院に行かざるを得ないという「教育の最後の砦」でした。

 

 親からの虐待や育児放棄、校内暴力、家庭内暴力、傷害事件、自殺未遂、リストカット、拒食障害など様々な子どもたちのいる施設でした。中でも、学校の先生をバットで殴りまくり、数名の教師を骨折させたにもかかわらず、その男子を取り押さえるときに肋骨を二本折ってしまったために、初犯だという理由が付与されて裁判所から送致されてきた子どももいました。でも、みんな違うんです、どの子どももそうなりたくてなったわけじゃないんです。子どもは親を選べない、養育環境も家庭環境も経済力も選んで生を授かるわけじゃないんです。「生の根幹」に関わる自己存在に直結する重大な問題なんです。顔もスタイルも能力や資質も名前すら選べずにこの世に生を授かるわけです。それが「生の根幹」の正体です。

 

「あんたなんか、産まなきゃよかった!」「あんたなんか、死ねばいいのに!」生爪をペンチで剥がされていた子どももいました。ご飯も食べさせてもらえず、腸が癒着していた子どももいました。繰り返されるリストカットで腕がケロイド状に膨れ上がった子どももいました。馬鹿にされ、いじめられ、虐げられてその子が手に取ったのは、ジャックナイフでした。

 

 私自身も4回の転校でいじめられた経験があり、私は兄によって中国武術ジークンドーを教わったおかげで強さを手に入れましたが、施設の子どもたちの多くは、凶器を手にすることが圧倒的に多かったのです。中学生で暴走族の副リーダーになっていた子どももいました。暴走族が深夜に爆音を轟かせて、公道を走るのは意味があるんです。身近にいる大人が誰も守ってくれなかったから、誰も手を差し伸べてくれなかったら、自己存在感を否定され続けたからに他なりません。だから、爆音を鳴らすんです。勿論(もちろん)、社会的に許される行為ではありません。ですが、あの爆音は、あの子たちの心の叫びなんですよ。自己存在感を徹底的に否定され続けた子どもたちの心の叫びなんです。

 

「俺はここにいるぞ!みんなよく見ろ!俺はここにいるぞ!」っていう自己存在感を味わいたくて、爆音を鳴らすんです。だから私は今でも暴走族が近所を走っていると、悲しくてどうしようもない気持ちになるんです。

 

 そんな子どもたちは、十全(じゅうぜん:不完全のない状態)な社会性と規範意識を身に付けて退園するわけではないのですが、その振れ幅はとても小さくなって退園していきます。一緒に食事を食べ、一緒に遊び、一緒にお風呂に入って背中の洗い流しっこ、そして、一緒に布団で寝ます。子供の手を握りしめて。愛情というのは言葉で教えるものではありません、体を通して、五感を通して味わわせていくのが愛情です。せめてこの施設に居るときだけでもこの子たちの本当の父親でありたいと願って関わってきました。

 

 一方で、「なぜ大人たちは、この子がこのような状態になるまでほったらかしにしたのだ、誰も手を差し伸べる大人はいなかったのか。」「なぜ、もっと早くこの子の変化に気付かなかったのか。」「なぜもっと早く、こうなる前に、その子の変貌に気付いてあげてさえいれば、この子はそんなふうにはなっていなかったのに。」そんな憤(いきどお)りから、私はその後、公的な研究機関でカウンセラーとして働きながら、子どもの変化をいち早く発見し、不適応な行動の未然防止に役立てるために、子供の学校適応感を調べる心理システム「学校楽(たの)しぃーと」を開発しました。

 

 前述したように、県の児童自立支援施設で勤務を終えた私は県の公的研究機関へ出向することになりました。
大学院で心理学を学び、世間から少年院一歩手前の施設と揶揄(やゆ)される(やゆされる:からかわれる)児童自立支援施設で実績を上げた私に待ち受けていたのは、膨大な量の仕事と、しかも、質の高い仕事ばかりでした。まるで命をかつお節で削り取られていくような感覚でした。その仕事をこなすうちに、体に異変が起こりました。手足の先がしびれたり、朝、体が起こせなくなったり、廊下を歩いているときに左側に寄り過ぎて真っすぐ歩けなくなったり、唇の周りがしびれたりするという前兆が3年程続きました。

 

 それでも、責任感の壁と闘いながら、カウンセリングの仕事と教師たちへの講義と全国初となる無料版の子供の学校適応感を調べる心理システム「学校楽(たの)しぃーと」を開発しました。全国初の偉業でした。今でも、鹿児島県は小学校1年生から高校3年生までが「学校楽(たの)しぃーと」を受けて、不登校や暴力事件、いじめなどの未然防止に役立てています。

 しかし、私の体はボロボロでした。ボロ雑巾のようでした。体は鉛のように重く、様々な病院で検査を受けましたが、異常はありませんでした。心が病んでいるのではないかという両親の勧めで、心療内科で診察をしたところ、ストレス障害でした。でも、肝心な脳のMRI検査をしなかったのです。これが致命的でした。首の後ろを通る右椎骨動脈は、動脈ですから周囲の血管より太いのです。それが、職場でのストレスと過労によって、血管が徐々に切り裂かれていた状態がもうこの頃から始まっていたのです。

 ついに、右椎骨動脈は破裂しました。生死を彷徨いました。延髄は心臓と肺を動かしているところなので、心肺停止となり、臨死体験を経験しました。まばゆい光が天から降ってきます。走馬灯の映像を見ます。どれも楽しい豊かな思い出ばかりです。その映像の3m上から自分が自分を見ているのです。声を掛けようとしたり、さわろうとしたりしてもできませんでした。私の走馬灯は、豊かな思い出ばかりでした。楽しいシーンばかりでした。そして、最後に、眩い光の中から、母の顔がその中心に大きく映し出されます。父と兄、妻、4人の子供たち、BOKKEMONSの仲間たちの顔【写真1】、親戚の顔が浮かんでは消えていくのです。

 

 1度目の臨死体験は、医療ミスでした。「カシミタール」というピリン系の腰痛用の点滴液を看護師が間違って注射器に入れ、かなり大きな注射器をお尻に打たれました。料金を支払うときに突然意識を亡くし、その場で倒れ、頭部をかなり強く打ったそうです。私が覚えているのは、医療ミスをした看護師が医師に向かって「先生、血圧が30になりました。」という泣き叫ぶ声でした。

 驚くべきことに、私のその後の心肺停止から臨死体験、死後の世界、死後の世界からの生還は2度目の心肺停止、臨死体験、死後の世界、死後の世界からの生還は、全く同じ流れであり、ほぼ同じ内容だったのです。

 

【写真1 Team  BOKKEMONS】

 私は2度に及ぶ心肺停止の後の臨死体験で、同じように心の中で叫びました。「死にたくない、死にたくない、母ちゃん、死にたくないよ。」これまで味わったことのない絶望的な淋しさや孤独感を味わいました。とてもつない淋しさと孤独感です。私が今まで生きていたことが、私のかけがえのない大切な人たちの記憶から徐々に忘れ去られていくという現実を想起すると、心の奥から湧き出してくる猛烈な淋しさを味わいました。そのような考えや気持ちがなくなると、走馬灯を見ました。普段の生活の中では決して見ることのない思い出ばかりなのです。私が幼稚園児の頃、自宅の裏の高さ1mほどのブロック塀を父が私の手をしっかりと握りしめて、私がそのブロック塀を歩いている姿を、3m上空から見るのです。声を掛けようとしても声をかけることができませんでした。また、父と自分に触ろうとしても触れないのです。また、私が小学低学年の頃に家族全員で菜の花畑でお弁当を食べている場面も見ました。

 2度目の臨死体験の時は、我が子がいたので、よちよち歩きの長男と手をつないで、二人でヤギを見に行き、ヤギにエサを食べさせる場面が映し出せれるのです。長男はとても喜んでいる様子が見えるのです。また、まだ1歳になる二男が泣き止まずに私が背負って、自宅の周りを散歩した思い出がカラー映像で映し出されるのです。他にも様々な場面を見ましたが、割愛したいと思います。

 そして、その後の記憶はありません。一切、ありません。私は2度の心肺停止と臨死体験と死後の世界を経験していますが、ほぼ同じなのです。違うのは結婚し、家族ができてから、妻の顔と4人の子供たちが走馬灯に出てくるという違いだけです。私は、死後、2、3分後にAEDで生き返るのですが、私という意識はなくなり、何も覚えていないのです。意識がないので「私が私である」ことさえ記憶に留めておくことは不可能です。

 

 つまり、「無」の世界です。読者の皆さんは、生まれてくる前の記憶がありますか?私はありません。人間は、誕生する前の世界と死後の世界を、「ほら、ごらんないさい。これが死後の世界ですよ。」と実態を示して説明することができないのです。誕生と死は、「無」の世界から降り立ってきて、「無」の世界に戻っていくとしか言いようがないのです。私のこの体験は、普遍性があるとは思っていません。人によって違うのかもしれません。ただし、誰も証明することはできないのです。死後の世界と言うのは、ザックリいうと、爆睡しているときと同じ世界です。覚えていないんです。何ひとつ。

 私は1度目の臨死体験の後、大学院の図書館で臨死体験の先行研究国であるイギリスとアメリカの論文を読み漁りました。驚くべきことに人の死には普遍性があるんです。私は、心肺停止後、1分半ほど地獄のような苦しみを味わいました。とんでもない苦しみです。息ができずに死んでゆく苦しみがまさにこれなんだと今更ながら思います。

 それが突然、急に楽になるんです。心肺停止になると、当然、血液の流れは止まります。脳に残されたわずかな酸素を使って、末期がんの患者さんに投与されるモルヒネの数倍も強い麻酔効果があるβ(ベータ)エンドルフィンという脳内ホルモンが分泌されるんです。それが、急に苦しみを取り除いてしまう作用があるんです。その後、まばゆい光が天から降りてきます。そして、走馬灯を見る。これは、国を問わず、人種を問わ、性差を問わず、老若男女を問わず普遍性があるんです。万国共通の原理です。ただ違うのは、キリスト教圏の国々の人たちは、光の輪のトンネルをくぐりぬけるというところだけです。私は論文を読んで、人間の脳には人種を問わず、性差を問わない普遍的な脳神経細胞の回路があるのだと考察しました。

 

二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界の経験を知る私が創りし釣りの御神木製高級御守Safety First

 先述したように、私の物の見方や考え方、感じ方は、私の数奇な経験により、胸の中から熱い想いと共に湧きいでた発想に基づいています。
 なぜなら、私は、二度の心肺停止とその後の臨死体験、そして、臨死体験後の世界を知る人間だからです。私の人生は、数奇なパズルでできているからです。だからこそ、釣りの水難事故で尊い命を失う釣り人の無念さがはっきりとわかるのです。どれほど無念だったことでしょう。したがって、愛する釣りで命を失わないように少しでも社会貢献を使用と考え、釣りの御神木製高級御守Safety Firstを創ったのです。

 二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界。それをくぐりぬけて蘇生し、今を生きている私が創ったのが、釣行安全と大漁祈願と交通安全を1つにした釣りの御神木製高級御守SafetyFirstなのです。全ての製作過程で手を抜かず一彫り一彫り魂を込めて創ったのが釣りの御神木製高級御守Safety Firstなのです。全ての材料に妥協しなかったため高級お守りになりましたが、私は「是非に及ばず」と考えています。

追記ー

 「人生という物語には到底受け入れ難い理不尽な出来事が起き、途方もない喪失感と涙しか渡れない橋があることに気付かされる。」
 私には、この言葉が銘として魂に刻み込まれています。そして、私の砕け散った心を癒してくれた海に心から感謝しています。この出来事が、私が釣りのお守りを創り、Safety Firstという商標をつくった原点であろうと思うのです。

 

亡くなった教え子は高層マンションに住んでいました。教え子の部屋の場所も知っていました。谷山港で海を眺めた後で、亡くなった教え子の部屋を見に行くのですが、灯りがつかないのです。分かり切っていることなのに、現実を現実のものとして受け入れられないがために、毎晩、教え子の部屋を見に行きました。

 

 ある日、ラジオから浜田省吾さんのPAIN(心の痛み・喪失感)をいう曲を聴きました。ふいに涙が溢れ出て、止まりませんでした。私の人生の物語は、浜田省吾さんのPAINの場面との共通項が多く、恣意的に解釈しながら、そして、悲嘆に暮れながら今でもこの曲を延々と聴き続けています。そして失ったあの子の笑顔を思い出すのです。今、生きていれば35歳になります。この曲を聴き、彼女の笑顔や私の膝の上に乗りふざける笑顔と肌のぬくもりを思い出すのです。これもまた大切な供養だと思うのです。

 

左手首に付けていたストーンヘンジ遺跡の鉱石で創られたパワーストーンと死後の世界からの生還

 私は一度目の心肺停止、臨死体験、死後の世界の経験、この世への生還のあと、パワーストーンにとても詳しい友人からイングランドのストーンヘンジ遺跡の鉱石で創られたパワーストーンを勧められました。魔除けの中でも最も高価な鉱石でした。それ以来、フォーマルではない場では左腕手首に付けるようにしていました。延髄梗塞で倒れた際も、イングランドのストーンヘンジ遺跡の鉱石で創られたパワーストーンを身に付けていました。証明することはできないのですが、私は2度目の臨死体験の際にストーンヘンジ遺跡の鉱石で創られたパワーストーンに「頼む、生き返らせてくれ、頼む。」と念じたことを覚えています。

 

長文でしたね。最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。深謝致します。

 

誠に恐れ入りますが、私のつたないYouTube動画に登録してくださるようよろしくお願いいたします。登録しても特に不利益になるようなことは決してありません。お約束いたします。ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

 

 

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