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人間とは自己開示なき人に本音を語らぬ存在です

人間とは自己開示なき人に本音を語らぬ存在です

 「人間とは自己開示なき人に自分から本音を語らぬ存在です。」この主張は、近代カウンセリングの祖であるカール・ロジャーズが繰り返し主張した言葉です。「自己開示」とは、今流行りの言葉で「ザックリ」いうと、自分の腹を割って自分の本音を他者へ話すことであり、他者に対して「自分とはこんな人間なんです」という、これまで心の中に鍵をかけていた心を開き、これまでの経験を伴った物語とそれに付随する心情を話すことを意味します。

 日本語の中にも、「発露(はつろ)」という言葉があります。「発露」とは、「いままで心の中に秘めていた事柄が表にあらわれ出ること」を意味します。したがって、「自己開示」と「発露」は同じような意味をもつことになります。だだし、日本語の「発露」とは小説などの文章で用いられることが多く、「自己開示」とは、カウンセリングの専門用語であるため、臨床心理学におけるカウンセリング演習の場や教育心理学の教育カウンセリングの講習会などで用いられることが多いです。

 

 要するに、今回のテーマの意味は、字義通りです。

 

 人間という存在は、自己開示をしない人に対して、決して本音を語らない傾向が強いという研究成果が数多く報告されています。また、このことは、読者の人々も実感を伴って理解できることでしょう。私自身もそうです。

相手が本音を一切語らない存在であれば、私も本音を語ろうという発想には至りません。一方で、相手が腹を割って自分の苦しみや悲しみなどの本音を語ってくれる存在であれば、自分自身もまた、その相手に自分の心を開いて、自分が抱えている目に見えない心の荷物を語ります。

 

 この現象は、「逆もまた然り」なのです。私自身が、勇気を出して腹を割り、「自分にはこのような物語があります。」と話せば、相手は、「ああ、この人は〇〇な経験をした人で〇〇な悩みや苦しみを抱えながら生き抜いているんだ。」と理解することができます。すると、同調原理が発動します。「だったら、私も自分のことを打ち明けよう」という発想を促すのです。

 

 人間の存在には、絶えず「呼応性の心配」というものが生涯付きまといます。「呼応性の心配」とは、字義の如し、「私の呼びかけに応じてくれるだろうかという心配事」のことです。したがって、「呼びかけに応じてくれない人」「呼びかけをするに値しない人」を無意識のうちに選別して、自分の深刻な悩みなどは一切相談しようとしません。「呼応性の心配」が高ければ高いほど、そんな人には相談しないのです。

 

 一方で、私たちは、深刻な悩み事を抱えた時に、「この人だったら大丈夫だ、ちゃんと応えてくれる、この人に相談しよう。」と判断します。それは、その人であれば、私の「呼びかけ」に「応じてくれる」と確信をもって判断するためです。つまり、「呼応性の心配」のハードルが低いために相談するのです。

 そういう相談がしやすい人ほど自己開示性が高く、人にコミットメント(熱心な関わり)をしてくれる人であるという研究成果が明らかにされています。また、自己開示性の高い集団と自己開示性の低い集団の凝集性(まとまりの意識)を分析したところ、明らかな違いが出るのです。自己開示性の高い集団は、人へのコミットメント(熱心な関わり意識)が強いため、お互いを認め合うという承認欲求が満たされる結果が高くなります。またそのような集団は、相互の信頼性が明らかに高いため、他者への信頼と尊厳の意識が有意に高いのです。信頼と尊厳の意識とは、ひとくくりに説明するのは難しいですが、ザックリいうと、「ドンマイ、ドンマイ」の関係、つまり、「失敗しても大丈夫だからね。」「あら、失敗しちゃったの、ドンマイ。次は〇〇してみようか。」といった相互コミュニケーションが活発な状態にあることが明らかにされています。

 

 逆に、自己開示性の低いグループは全ての分析項目が、自己開示性の高いグループに比べて低い結果になります。自己開示性の低いグループのメンバー一人一人に作文を書かせ、コルトコル分析にかけたところ、興味深い結果が判明しました。それは「相手の『顔』が見えない」という言葉の数が多かったという事実です。「相手の『顔』が見えない」という文章は英語特有の表現です。日本語で言えば、「相手が何を考えている人間なのか、いったい何者なのか分からない」という疑心暗鬼な状態を意味します。

 

 

 

 さて、ここからが私の主張になります。私は、Xのプロフィールを全面的に書き直しました。さらに、一歩踏み込んだ自己開示性の高いプロフィールにしたのです。私の大学院での研究論文は社会心理学に関する内容でした。したがって、私のお師匠様は社会心理学を専門とする〇〇教授でした。社会心理学とは、社会学と心理学のミックスジュースだと思えばいいでしょう。社会心理学の視座からここ数カ月Twitterを実践してきました。すると、幾つかの違和感を覚えるのです。その違和感を紐解くカギは、「人が幸せに生きるためには2つの前提がある」という切り口でした。

 

【人が幸せに生きるために生きるために必要な2つの前提】

 

➊1つ目は「自由」です。「自由」の本質は何でしょうか?それは、幾つかの選択肢の中から自分で選べるという権利を意味します。

❷2つ目は「尊厳」です。人は能力や資質が異なる存在です。これは厳然たる事実です。しかし、能力が乏しいからと言って、過剰にみじめにならず、「自分はそこに居てもいいんだ、自分は生きていていいんだ、自分はこの集団から自分だけにある良さを認められている存在なんだ。」と思えることが「尊厳」の本質です。

 また、「尊厳」には「多様性」を認めることが求められます。宗教にはキリスト教やイスラム教、仏教、ヒンズー教など様々な宗教が存在しますよね。➊の「自由」の本質だけではみんなの尊厳を支えることはできません。そこで、社会学ではみんなの、より多くの人たちの、尊厳を支えるには、「自由」と「多様性」の両方が必要であるという立場を取ります。「自由だけど、仏教と神道の人たちが多すぎて、仏教と神道だけの色に社会が染まり過ぎる。キリスト教の私は生き辛いわ。」となるとキリスト教は異端と見なされ、様々な軋轢が生まれます。だからいろいろな「多様性」を「承認する」心構えが必要なんです。

 

 これらの原理原則により、「プロフィールは、ほとんど書かず、固定ツイートも人の借り物。しかも、以下の内容も人の借り物だらけ。ただただ、フォロワーの数だけを求めて、その人を見ようとはしない。自己中心性から抜け出すことのできない未成熟な人たち。」ところが、だからそれは間違いだという理由でその人を否定し、一刀両断する考え方は間違いなのです。

 なぜならば、その人には➊の「自由」が与えられており、その本質となる選択肢の中からそれを考えて選んでいるからです。加えて、❷の「尊厳」から逸脱することなく、「多様性」を「承認」しているからなのです。

したがって、その人はその人の考え方でやっていけば良いのです。

 

 一方で、私には私の➊の「自由」があり、数多い選択肢があります。その選択肢の一つである量から質へシフトしただけの話です。フォロワーの量が減れば、そりゃあ寂しいですよ。これは本音です。でも、私の選択肢には満たされないというデメリットが刻まれている。であれば、質の方へシフトしたいという胸の奥から湧き出でる思いをごまかせなくなってくるのです。だから、選択肢の中にある相互フォローを解消することは私の自由裁量になります。

 私の人格特性は、ビッグファイブをいう性格検査で調べてみると、不安特性が有意に高いんですね。これは幼少期の状況に起因することなんですが、それは横に置いておいて、不安特性が高いがゆえに、相手がいったいどんな人間なのか『顔』が見えないと安心できないんです。つまり、先述したように、どんな人柄なのか、どんな考え方を持っているのか分からないと、不安なんです。この不安特性はそうやすやすと治療することはできません。だから、コミュニケーションコミュニティーを小さくして、交流を深めることにシフトしたわけです。ただそれだけです。

 

 自由の名のもとにおいてどのようなやり方を選択するかは一人一人に委ねられています。それを否定し、間違っていると一刀両断することはできないのです。私は、相手がどのような人であり、どのような考え方をもっているかをもっと分かっておきたい。そうであるならば、少数でなければ、コミュニケーションすることはできません。これまでは、ご恩を返す目的で、いいねをしたり、リツイートをしたりしてきましたが、これじゃあ、私の本心は宙を舞っているんですよね。お互いに認め合って、相互の自己存在感や自己肯定感を高め、承認欲求を満たし、相手がたとえ不適切な表現を発信したとしても、「失敗しても大丈夫」「それぐらいのことは気にしないよ。」といえる他者に対する「尊厳」を求めたいと思っただけの話です。

 

 フォロワー数の増加に価値を見出す人、生き甲斐を見出す人、それはそれでOKなのです。

また、私のようにその人を知りたいから物理的に人数を減らさざるを得ない、それはそれでOKなのです。私は商売上の作品の紹介をしますが、Twitterで知り合った人に自分から進んで売りつける発想も事実もありません。そんな思い上がった人間にはなりたくないからです。ただ、私が生きていたという証である作品を皆さんに見てもらいたいだけなのかもしれません。それよりも、Twitterを無心で使っているときのほうが楽しいです。

 

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。感謝致します。

 

 

 

 

 

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