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屋久杉先生いわく、大人として成熟するための「双眼の色」

屋久杉先生いわく、大人として成熟するための双眼の色

 読者の皆様に、大人としてより成熟するために知っておいて欲しいある句があります。それは、江戸時代に活躍した臨済宗中興の祖、白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師が記した書物の中で記した「君看(み)よ、双眼(そうがん)の色、語らざるは愁(うれい)なきに似たり」という句です。その意味は様々な解釈がなされていますが、数冊の辞書を調べて共通する意味は主に以下の通りです。
この私の両の目をよく見てください。何も言葉を発さぬことは、哀しみが無いことを意味するのではありません。哀しみが深すぎて、言葉にならないのです。

 

 私は、この句に関して決して日記調とは呼べない書きなぐりの雑記帳に次のようなことを書き綴っていたのでご紹介いたします。なお、日記の文章は不適切な表現が散見されたので加除修正してご紹介いたします。

 

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 7年ほど前、リハビリが済んだ後で、私は気分転換のつもりで自宅近くの書店のDVDコーナーをうろついていた。すると、高校時代の友人に会った。久しぶりだったので、お互いに驚いた。けれど、彼女の顔を見ると、すぐに違和感を抱いた。いつもの明るい表情ではない。瞳の奥には、深い哀しみをたたえていた。

「よぉ、元気にしちょったけ?」 ※意味 ※かごんま弁(鹿児島弁)よぉ、元気にしてたかい?

 

「・・・・・・・・・。」

 

「〇〇ちゃん、いけんしたとぉ?  ないかあったとけ?」 

※かごんま弁(鹿児島弁)意味:〇〇ちゃん、どうしたの?  何かあったのかい?」

 

「丈太くん、私ねぇ、・・・」

既に彼女の瞳は、涙をたたえていた。すぐにでも溢れ出てくるようだった。

ひとしきりこれまであった彼女の物語を聞かせてもらった。

 

 理不尽であまりにも無慈悲な話を聴き、言葉が出てこない。何と言ったらいいのか、どんな言葉を伝えたらいいのか、言葉を探すが見つからない、私は途方に暮れてしまった。こんなときは、ひたすら彼女の話を聴いてやるしかねぇ、うんと聴いてやるんだ、彼女の背負った悲しみが少しでも軽くなればいい、そう思った。

 

 ひとしきり彼女の話を聴いた後、彼女が泣き笑いをした。笑ってくれてよかった。この俺は、どうしようもない難治性の痛みと心の闇を抱えている。だからこそ、その苦悩という心の窓から、彼女の抱えている景色が見えるような気がした。

 

 ちょうど同じ頃、用事があって、私が信頼しているダチの自宅に立ち寄った。10歳の頃からのダチで、同じ過去を共有し、共通体験を山ほどしてきた、45年間の繋がりをもつかけがえのないダチだ。

玄関から出てきたダチの表情に違和感、いや異変を感じた。いつもの表情じゃねえ。こいつのツラじゃねえ。こいつは、ガキの頃から闘争心むき出しの眼をしていた、力強い眼をしていた。今、こいつの眼に力強さはない。生気を感じない。

 

「これを渡したくて来たど。」

「ありがとうな。」

 

「お前よぉ〜、なんかあっただろう?」

 

「うんにゃ。何もねど。」意味※かごんま弁(鹿児島弁) いいえ、何もないよ。

 

「お前よぉ〜、俺たちの付き合いは、いったい何年だあ?30年以上だぞ、そんなことぐらい分らねぇ俺じゃねえぞ。お前の目をみてりゃあ、分かるんだよ。いつものお前の目じゃねどがよ。」

 

「丈太、・・・・・・。ありがとな。」

 

「○○、今週おいの部屋で呑んど。」※今週私の部屋で飲むぞ。

「うん、よかど。呑んが。」※、うん、いいぞ、呑もう。

 

その週末、二人で酒を酌み交わす。ひとしきり昔のバカ話に華を咲かせる。それから、彼の物語を聴かせてもらった。根性があり責任感の強い男だ。喧嘩も強いが頭もキレる。そんな奴が瞳の輝きをなくすわけだ。一筋縄ではいかない課題を抱えていることぐらい、すぐ分かる。

 

彼の辛さと悲しみを推し量りながら話を聴く。そして、ひたすら酒を酌み交わす。あとは、2人とも、いつもの晴天のヘベレケ状態。

 

大人として成熟するために知るべき「双眼の色」との出逢い

 いつの頃だったか忘れてしまったが、NHKの夕方の番組で、作家の五木寛之さんが出演されていた。五木さんの過去の話に引き込まれた。五木さんは、今でも誰にも語ることが出来ない深い哀しみに満ちた過去の物語があるとおっしゃっていた。

戦時中の物語である。

 

そして、次の句を紹介された。

 

    “君看双眼色 不語似無憂”

「君看よ、双眼(そうがん:両目)の色、語らざれば憂(うれ)い無きに似たり」

                                            白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師 ※江戸中期の臨済宗中興の祖

 

私はすぐこの句について調べた。理解したい衝動に駆られた。様々な意訳があるが、私の心の窓を通して見える恣意的(しいてき:自分勝手に)な文脈に落とし込むとだいたいこんな感じになる。

 

意訳

さぁ、あなたよ、あの人の両方の瞳の色を心してよく見つめてごらんなさい、その人自身が話さなければ憂い(悲しみ)が無いように見えるでしょう。『話さない』のではなく、『話すことができない』。それほどに深い哀しみと苦しみと憂いを胸に秘めながら生きているのですよ。あなたには、それが分かりますか?そして、それを推し量り、そっと寄り添うことができる人間になれますか?

 

 私は、小学校を転々とした経験をもついじめられっ子だった。酷いいじめを味わった。だから、兄から中国武術のジークンドーを習った。ひたすら縦拳でサンドバッグ打ち抜く。打つのではなく打ち抜く。拳の皮は裂け、サンドバッグは血まみれになるがそれでも打ち抜く。でも、破けた皮膚から腱と骨が見えたことがあり、それからはタオルを巻いて、テーピングで留めてから練習するようになった。そして、父が作ってくれた鉄棒で、何千回も懸垂を繰り返した。悲しみで見についた筋肉。周囲は驚いていたが、自慢とは程遠い筋肉だった。悲しみが原因でついた筋肉だから【写真1】。おかげでいじめられた後の喧嘩は一人当たり3秒もかからなくなるまで強くなれた。でも、怪我をさせたというだけで、理由を聴いてくれる教師は誰一人としていなかった。中学2年の時がいちばんひどかった。

 

 生意気だという理由だけで、不良グループの先輩や暴走族、少年院あがりの先輩たちに絡まれ、学校近くの公園に呼び出された、そして、同じ理由で呼び出された同級生とタイマンをさせるのだ。しかも、賭博。不良グループと暴走族に取り囲まれて喧嘩をさせられる。みじめだった。兄貴に相談すると、大きな事件になるのは目に見えていた。だから兄貴にも相談できなかった。BOKKEMONSの仲間の野間君だけが応援に来てくれた。

正当防衛のふりをするために相手に1、2発殴らせる。痛かった。それから、一発の縦拳で仕留める。大けがをさせる技だから相手を芝生の方に引き込んで打ち抜く。高校時代もずっとこんな感じだった。電車の中でガンを飛ばしてくる奴を公園に誘って、芝生の上や砂場の上で仕留める。

 

 【写真1 鉄アレイを使わなくても

サンドバッグと懸垂だけでこれだけの筋肉

が付くのです。中3で既にこの体になって

いた】

 

 すさんでいた私に手を差し伸べてくれる教師はいなかった。暴力を先に振るってきたのは相手だと何度言っても、怪我をさせた私が殴られ、蹴りを入れられた。

 

だからこそ、私は教師になってから反射的に子どもの眼を注視した。子どもの表情と眼の色を看れば何となく伝わってくるものを感じる。そして、躊躇なく声をかけた。

 

「何かあったのか?」

「・・・・・・・・・。」

 

子供はかたまり、おし黙るしかない。子どもの反応ですぐに何か抱えていることが分かった。子どもは子どもなりに友達との関係や親のことで深い悩みを抱えていた。特に家庭の悩みは深刻だった。何人もの子どもを自分のアパートで一週間預かり、一緒に寝て、ご飯を食べた。銭湯で互いの背中を洗った。家庭訪問にも毎日行った。そんな教師時代だった。

 

その後、鹿児島県教育委員会の大学院派遣制度により大学院で心理学を研究した。2年目は仕事をしながらの夜学。修士論文も3回の学会発表もこなした。児童自立支援施設で働く経験もした。鑑別所や家庭裁判所から送致されてくる子供とは、体を張って正面から向き合った。子育てのやり直しに必死になった。夜勤は週に2日。研修の仕事と裁判所の調査官とのやり取りの仕事をこなした。

 県の研究機関で働く経験もした。だが私は、延髄梗塞で倒れる前から、自分の体と心の異変を感じていた。しかし、脳のMRI検査をしなかったために首の右後ろの椎骨動脈に異変があるのに気づかなかった。カウンセリングで子どもや保護者の深刻な相談を受けるたびに、辛い気持ちや苦しい気持ちに私自身が巻き込まれ、気持ちの切り替えができなくなっていった。

 全国初となる無料版の子供の学校適応感を調べる心理システム「学校楽(たの)しぃーと」を作成するために、睡眠時間を削り、数十万というデータを入力し、分析を繰り返した。その上に膨大な仕事が追いうちをかける。要求される仕事の質と量に命を削られていく感覚を覚えた。この頃から、

 

「私は、私であって私ではない。」という心の解離的な状態になった。

 

私は、この頃から確実に病魔に蝕まれていた。右くちびるの周りが2、3日ほど痺れることもあった。時折、右顔面の周囲にチクチクする痛みがあった。両手両足の先が麻痺した。夜中に自宅の廊下を真っ直ぐに歩けず左の壁にぶつかることが多かった 。右の椎骨動脈は、少しずつ炎症を起こしたのだ。後に主治医からその頃の私の動脈は、少しずつ炎症を起こし、ミクロレベルの亀裂が入り、裂け続いていたはずだと言われた。

 

私は起床し、洗顔をした後、しばらく自分の顔を見つめ続ける習慣がある。今の自分がどんな顔をしているのか確かめるために。今の自分に正面から向き合うために。気力を失いかけている自分の顔に活を入れるために。でも、その当時の鏡で見る自分の顔は、暗い。眼に生気などない。虚ろな腐った眼をしていた。こんな眼ははじめてだった。そして、そのような眼の状態が長く続いた。

 

私には、このような経験があったからこそ、友人やダチの表情を見て、その瞳にたたえている違和感を察知する事ができたのだと思う。

 

私の抱え込んでいる途方もない痛みと心の闇。その窓から見える景色は、けしてダメダメなものばかりではないことに気付いたとき、嬉しくなったことを覚えている。私の心の窓から見える2人の景色には、哀しみと憂いをたたえ霞がかかっている人の双眼の色が伝わってくるじゃないか。そう思うと、少しは大人として成熟したのだと感じた。

 

深い哀しみと憂いに気付ける人でありたいと願う。

そして、その物語をじっと聴くとことのできる人でありたいと願う。

さらに、そっと寄り添うことのできる人でありたいと願う。

それがちゃんとできるのが、大人としての成熟であると確信する。

 

    “君看双眼色 不語似無憂”  

 

「君看よ、双眼(そうがん:両目)の色、語らざれば憂(うれ)い無きに似たり」

 

私は、死んだ腐ったような双眼の色を、ずっと家族に見せてきた。あまりにも罪深い。心配する妻の瞳の色と子供たちの瞳の色を生涯忘れないでいようと思う。そして、最後まで諦めることなく生き抜こう。

 

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。感謝致します。

 

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