モダンアート屋久杉 世界遺産屋久杉製美術品の通販 モダンアート屋久杉

Modern Art Yakusugi先生、仲間ってなんですか?なぜ必要なんですか?

Modern Art Yakusugi先生、仲間ってなんですかなぜ必要なんですか

 仲間って何ですか?なぜ必要なんですか?う~ん、なかなか難しい問題ですね。小難しい話になりますが、社会の在りようが仲間の形成を必要としているんです。出だしの文章は、少し難しい話になりますが、社会の在りようが人間の在りようを形成する必然性を理解することができると思うので、少しだけ説明させてください。

 

 今から約70年前に民俗学者の創始者である柳田邦夫が、「世間の話」という本の中で、この日本国には、そして日本人には「社会」がないといっています。その代わりに「世間だけがある」と言っています。この意味は、社会学的にいうと、ヨーロッパでは昔から社会というものが、自分もいる、しかし、他者もいる。自分が所属する内集団もいる。自分が所属しない数多の外集団もいる。しかし、全ての人、全ての集団が今日、共通に支えられている共有の小さな社会集団、つまりコモンズ(価値観を共有した社会システム)がある。この全ての人、全ての集団が今日、共通に支えられている共有のものにコミットする(深く関わる)考え方をパブリックマインド(みんなのために役に立つことをやろうとする気持ち)といって、そのパブリックマインドを支えてくれているプラットフォーム(共通の基盤となる環境)をパブリックって言います。このパブリックマインドが日本には決定的に欠けているんです。誰かのために、みんなのために役に立つことをやろうというパブリックマインドが育っていないから日本は同じ価値観を共有した社会システムが成立しにくいんです。

 

 柳田邦夫に言わせると、それは日本人には全くない。代わりに世間だけがあるって言っています。さらに、日本人にはパブリックマインドが全くないがために、代わりにあるのがお上の視座だけがある。お上の視座があれば、その人に世間の諸々のことを調整してもらっていればいい、だから自分は何も考えなくていい、という社会風土ができあがってしまっている。だから調整役の視座であるお上がクズであったら、もう日本は終わりってことになります。

 

 こんな日本を少しずつ変えていくにはいくつかの方法があって、その一つのキーワードが「仲間」なんです。自分はこう思う、自分はこれが正しいってことじゃなくて、自分としての自分は別にして、天から見た自分はどうなのか、自然の摂理から見た自分はどうなのか、3m上空からモニタリングしている自分は何を考え、どう生きようとしているかっていうメタ認知のように、自分の直接的な思いの外側から物事を考えることが必要で、そのためには、実はやっぱり、日本人には「仲間」っていう概念が必要なんす。

その仲間がいる自分としての自分、しかし仲間のために尽くす自分がいて、さらにその仲間の同心円状的な延長線上で初めて、世間という概念が出てきて、仲間が許さない=社会が許さないっていうことになって、それはパブリックと同じ機能を果たすということになるんです。

 

 これは私見ですが、友達って言うのは知り合い程度の存在です。友達の定義って割と簡単で、友達は単なる知り合い程度の存在、つまり日常会話の範疇から外に出られない関係性です。一方で、ダチっていうのは、自分の抱えていることを相談できる存在でます。

 さらにいうと、「仲間」や「かけがえのない存在の人」って言うのは、自分が悩みを聴いたら自分が一肌脱いで自分が犠牲になってもなんとか対処しようっていう心構えのできる相手なんです。だから仲間って言うのは、腹の底から湧き上がってくるような価値観にコミットできる存在なんです。

友達って、守るべき対象にはなり得ない。また、自分が一肌脱いで犠牲になる価値さえない存在です。守るべき存在あるっていうのは、自分の損得を超えた振る舞いができる人間がいるっている論理なんです。したがって「仲間」や「かけがえのない存在の人」をもつことができる人間っていうのは自分の損得を考えた視座から考える力量がある人間のことを言うのです。

 そこで大切なことは、意見は意見でいい。議論は議論でどうでもいい。相手がまともかクズかだけを見極めることこそが肝要なんです。まともな人間であれば、お前が戦争肯定派であれ平和肯定派であれ、自分を捨てて、ある種の利他性や貢献性を発揮できるでしょう。イデオロギーの奴隷になっている、或いはイデオロギーの鉄格子の中に入れられている人間を見抜かなければならないでしょう。生き抜いていくうえではそういう心眼が必要になります。心眼は、自分の過去の人生経験を振り返ることでしか養えないことに気付くべきです。

 

 だから、今大切なことは、若い世代に「仲間」っていう記憶をもてるようにすることだと思います。だからこそ、幸せな絆の中での関係であったり、気兼ねなく損得勘定さえなく、和やかな関係の中での経験をしたりすることが大切なことなのだと思うのです。

 ゆえに、本当に美味しくご飯を食べたい、本当にいい性行為をしたい、或いは、本当にいい死に方をしたいと思うのであれば、やっぱり自分が犠牲になってもいい「仲間関係」や「かけがえのない存在の人」がいるかどうかに尽きると思います。また、グズではない、まともな人間って言うのは、必ず何かを背負います。

 しかし、自分としての自分は別として、たった一人の仲間を幸せにしなければ、やっぱり自分は幸せにはなれないでしょう。だから、自分が幸せになれる人って言うのは人を幸せにする人が幸せになれると言われています。これは、私見ではなく、心理学で証明されていることなんです。この考え方には例外が無く、普遍的なものなんです。仲間が多いほど長生きできるっていう研究報告もあるぐらいですから。

 

 社会っていう理不尽で無慈悲な荒野を生き抜くためには、「仲間」が必要です。「仲間」がいて初めて、荒野を生き抜くことができる。その「仲間」を能動的に或いは受動的につくるか、つくらないか、積極的に働き掛ける、働き掛けないかは、あなた次第の発達課題なんですよ。

 

そうです、あなた次第なんです。

It’s up to you!

そうさ、あなた次第さ!

 

 友達って言うのは知り合い程度の存在です。友達の定義って割と簡単で、友達は単なる知り合い程度の存在、つまり日常会話の範疇から外に出られない関係性なんです。

 一方で、ダチっていうのは、自分の抱えていることを相談できる存在なんです。さらにいうと、「仲間」や「かけがえのない存在の人」って言うのは、自分が悩みを聴いたら自分が一肌脱いで自分が犠牲になってもなんとか対処しようっていう心構えのできる相手なんです。

 

 だから仲間って言うのは、腹の底から湧き上がってくるような価値観にコミットできる存在なんです。したがって友達って、守るべき対象にはなり得ないんです。また、自分が一肌脱いで犠牲になる価値さえない存在なんです。守るべき存在あるっていうのは、自分の損得を超えた振る舞いができる人間が私にはいるっていう論理なんです。したがって「仲間」や「かけがえのない存在の人」をもつ人間っていうのは自分の損得勘定を抜きにした視座から考える力量と度量がある人間のことを言うのです。

 

私が自分を見失って苦しんだ時は・・・
私の仲間を見ろ。

TEAM BOKKEMONSの一人一人の生き様を見よ。
仲間一人一人の生き様から何かを学べ。
私は、その仲間によって本当の自分の姿を知らさらるのだ。

 

仲間とは自分を映し出す鏡なのさ。

 

 

関連情報

世界遺産屋久杉の木工美術作品 Modern Art Yakusugi

モダンアート屋久杉 モダンアート屋久杉

伐採全面禁止から二十数年経ち、伐採以前の屋久杉は〇国による買占めで後5,6年で枯渇すると言われています。そのため、この機会のを逃すことなく、次の世代に引き継ぐために、世界遺産屋久杉と御神木の木工美術作品の所有者になりませんか?

屋号 釣り心研究所
住所 〒899-5241
鹿児島県姶良市加治木町木田1166-25
営業時間 10時~20時(土日祝除く、月1~2日程度通院のため臨時休業あり)
定休日 土日祝、月1~2日程度通院のため臨時休業あり
代表者名 乾 丈太
E-mail info@modern-art-yakusugi.com

コメントは受け付けていません。

特集

モダンアート屋久杉 世界遺産屋久杉製美術品の通販 モダンアート屋久杉

〒899-5241
鹿児島県姶良市加治木町木田1166-25

営業時間 / 10時~20時
(土日祝除く、月1~2日程度通院のため臨時休業あり)
定休日 / 土日祝、月1~2日程度通院のため臨時休業あり