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Modern Art Yakusugi先生、娘が「死にたい」って泣き叫ぶの、どうしたらいいの?

Modern Art Yakusugi先生、娘が「死にたい」って泣き叫ぶの、どうしたらいいの?

 ーまえがきー

 この私の文章は、大学院で心理学をかじり、公的機関で5年間カウンセラーとして勤務していた私が読者の皆様に「大人として知って欲しい」意図で書いたものです。この内容は事実に基づきます。

 

「死にたいと」なんどもつぶやく子供を、仮にKちゃんとします。

 

 私は、読者の皆様に「自殺の本質」と初動(最も早い行動や対応)を教えたいのです。この本質を理解している者と全く理解していない者とでは、すでに初動から違ってきます。初動を誤れれば、本当に死ぬ場合があるんです。豊かな人生を過ごすことは、私たちが、読者の皆さんが、Kちゃんが、生まれながらにしてもつ権利なんです。したがって、このブログの内容は私たちの人生において大切な意義があります。

 今、まさにこの瞬間に、友人が、親が、我が子が、「死にたい!」と泣き叫んだとき、私や読者の皆さんに喜びをもたらすものは、「生きたい、生きたい、本当は生きたい。」という胸の奥の箱の中にカギをしめている、その箱の扉を開くこと手助けすることであって、「甘ったれるな、みんな苦しんで生きているんだ、お前だけが苦しいなんて思い上がったことを言うんじゃない!」という言葉で不幸の平均化をすることじゃないんです。そういう発想は、既に初動を過ち、決してあってはならないことなのです。

 私は、大学院で学んだ知識と5年間のカウンセラーとして勤務した幾つもの経験に基づく立場にあった者として、「死にたい」という言葉の本質を知り、適切な初動を伝える義務があると信じています。

 

以下の文章は、日頃から雑記帳に書いた内容を推敲し書き写しただけです。

 

🔸「いいか、忘れるな。死の淵を覗き込む者は、その実、死の淵から覗き返されていることを。

いいか、忘れるな。『死にたい』と泣き叫ぶその声に振り回されるな。頭の中に冷たい氷を入れ、冷静になって適切に対応するのだ。」

 

 この世に心の底から死を願う人間がいるとでも思っているのか?そうじゃないだろう。あのKちゃんが本当に「死にたい」はずがない、それは氷山を形づくる海面から出てきたほんの一角であって、「死にたい」が本質ではないのだ。「死にたい」という本質は、海面深く隠れ、大きく潜んでいる。それが本質であり、それを見抜くのだ。

「死にたい」の本質は、生きることに対する絶望なのだ。

「死にたい」の本質は、周囲の大人が手を差し伸べてやらなかった結果だ。大人が手を差し伸べてやらないという意味は、孤独などではない、他者との断絶を意味する孤立なのだ。

 

「死にたい」の本質は、生きることへの絶望であり、それほどまでに生きてゆくことに疲れ果て、これ以上、生きていくことがあまりにも辛く苦し過ぎるのだ。Kちゃんにとっては、もう「死にたい」という心理的狭窄視野に陥り、「死ぬ」という選択肢しか残されていない状態像にあるのだ。

 Kちゃんは、本当はわかっているんだ。自分が死ねば、どれほど親が悲しむかを。しかし、Kちゃんにとっては、どう考えてみても、生きてゆくことの方が、死ぬことよりも生き辛いのだ、苦し過ぎるのだ。

「死にたい。」
「死にたい。」

一般的に、或いは社会的通念上、人間は「死にたい」という言葉を嫌と言うほど刷り込まれ、日常生活に浸透しているのであって、本質は、違うのです。そこをきちんと理解しておかなければいけない。

いいですか、「死にたい」という言葉は「社会通念」として「一般化」され、日常用語として世間の人々に認知されているため、普段の日常生活の「言語」として違和感なく使うのであって、本当に心の芯から「死にたい」と願う人などいやしないのです。

一般的に用いられている言語とその本質が余りにも、現実離れしているから厄介なのです。

もちろん、今まさにKちゃんのように「死にたい」と泣き叫び、

「死にたい。」
「死にたい。」
「・・・・。」

という言語を使い、希死念慮にあえいでいる人もいるでしょう・・・

実際に、胸の内で使われている内言語(ないげんご:心の中で本人がつぶやいている言葉)は、「死にたい」であっても、その本質は違うのです。

 

「死にたい」の本質は、「死にたい」のではなく、「それほどまでに生きてゆくのが辛い、あまりにも生き辛い。苦し過ぎる。」のです。「生きていくことの方が辛すぎる。」のです。
つまり、「生きていくことの方が辛すぎる、早く楽になりたい、という絶望感」が本質なのです。

現実があまりにも苦しくて、辛くて、刹那すぎて、この「生き地獄」のような現実を現実のものとして、到底受け入れることができないという絶望感があるのです。

 この世で最も悲しいことは、なんだか知っていますか?

それは、生きる気力をなくすことなのです。様々な不幸と耐え難い理不尽な現実を受け入れられずに、生きる気力をなくすことなのです。

 

Kちゃんには、このような対応をしてあげて下さい。

まず、真っ先に心掛けなければならないのは、Kちゃん自身の心の安定を最優先事項であることを忘れてはなりません。

Kちゃん自身が、「なぜ、それほどまで生き辛いのか?なぜ、生きていくことの方が辛すぎるのか?」その中身を吐き出し始め、それが全て吐き出し終えるまで、一切否定してはなりません。その後も、一切否定しないでください。

 

必ず肯定的に時間をかけて十分に聴く必要があります。私や読者の皆さんも言い返したい場面が必ず出てきます。でも、最優先事項は何ですか?言い聞かせることですか?違います。その生き辛さの中身をはっきり掴むまで、自分の心の中から全ての否定を排除し、肯定的に共感的にその中身を吐き出させてやることが最優先事項なのです。

 

「死にたい」という言語は、身近な人に大きな衝撃を与え、うろたえさせます。ですが、決してうろたえてはなりません。「死にたい」という言葉の中身を聴き出し、その生き辛さの正体をはっきり掴むまで共感的に聴く必要があります。

その人が、死ぬことを諦め、生き抜いていくことを、自分に課せられたこととして『引き受ける』まで寄り添う必要があるのです。

なぜなら、

この私がそうやって、
立ち直った人間だからです。

 

ーあとがきー

死ぬことを決意した人は既に正気ではありません。私もそうでした。もう正気ではないのです。

死ぬことに対して腹をくくっている人にカウンセリングの話を持ち出したり、宗教の教義を持ち出したり、親兄弟の話や家族の話を持ち出しても無意味です。その人の「死にたい」という言葉に隠された中身を掴んだら、

「死ぬな‼️  絶対に死ぬな‼️  生きろ‼️   絶対に生きろ‼️ 」

とにかくあらん限りの大声で叫び続けることです。

 

その方法が本当に適切なのかどうかは正直なところ分かりません。

しかし、このやり方で実際に数人の命を助けました。その方法で、正気を失った世界から、正気の世界へ連れ戻さなければならないのです。

私はそうやって、自分の命を助けられたことがあるし、同じことをして数人の命を助けたことがあるからです。

 

もはや、このような次元になると、「魂の叫び」を全力で伝えるしかないと私は信じています。

 

【両親の故郷 奄美大島の喜界島 両脇は

砂糖キビ畑】

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