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御神木製釣りのお守りと釣行安全と大漁祈願の関係性を教えてください。

御神木製釣りのお守りと釣行安全と大漁祈願の関係性を教えてください。

 御神木製釣りのお守りと釣行安全と大漁祈願との関係を論理学で整理したいと思います。これまでのブログを読んでくださったことを前提に話を進めたいと思います。まだ、読まれていない方は論理理学で事象を整理する意味が分かりにくいと思いますので、読むことをお勧めします。まず、思い出していただきたい内容があります。それは、釣りのお守りの定義です。この定義は、私が創った御神木製釣りのお守りを明確に提唱するためにつくった定義になります。ブログ10で述べた定義にまつわる内容を引用します。

 

「私が提唱している御神木製の釣りのお守りの定義は、『釣りのお守りとは、はやる気分を抑え、落ち着いた気分で安全運転に心掛け、釣り場に到着する。そして、釣りの準備から後始末までを含めて、安全に十分に配慮しながら釣りを思う存分に楽しみ、交通事故をせずに安全運転で帰宅する確固たる意識と絶え間ざる祈念を意味するお守りである。というこれまでになかった釣りのお守りを定義し、釣りに安全に行って、安全に釣りを楽しんで、安全に帰宅するという広い範囲のお守りであることを明言し提唱したのです。

 したがって、釣行安全お守りは、私の定義でいうと「安全に思う存分に釣を楽しんで」に該当し、その結果としての大漁や豊漁を意味します。

 

 つまり、これまでになかった釣りのお守りの定義を、御神木製釣りのお守り現代アート作品の定義として初めて明確に提唱したことにより、御神木製釣りのお守り現代アート作品は上位概念となり、釣行安全お守りと大漁祈願お守りは御神木製釣りのお守り現代アート作品の概念に内包される下位概念(被内包)になります。したがって、私の創る御神木製釣りのお守りは、釣行安全お守りであり、大漁祈願お守りでもあるのです。

 

 私が提唱した御神木製の釣りのお守りの定義は、釣りに行く準備段階の時刻から帰宅する時刻までの安全性を重視し、最優先事項として明記しているため、釣りの安全を最優先するという釣行安全お守りとその結果としての大漁祈願お守りは、論理学上、必然的に御神木製の釣りのお守りに含まれるということになります。

 

 もちろん、上位概念と下位概念は、上品と下品、勝ち組と負け組、などといった二項対立で判断してはなりません。あくまでも論理学上の内包・被内包の関係において、御神木の釣りのお守りの定義の内容が広範囲であるため、内包する側となり、釣行安全お守りと大漁祈願お守りは、御神木のお守りの定義の内容に内包される(被内包)側になることを意味するだけです。

 

 私の主訴(最も訴えたかったこと)は、釣りのお守りとは、はやる気分を抑え、落ち着いた気分で安全運転に心掛け、釣り場に到着する。そして、釣りの準備から後始末までを含めて、安全に十分に配慮しながら釣りを思う存分に楽しみ、交通事故をせずに安全運転で帰宅する確固たる意識と絶え間ざる祈念を意味するお守りであることをこの社会に認知させていく営みそのものなのです。

 

 私が創った御神木製の釣りのお守りの定義は、このブログを読まれた人々を含め、ほんのわずかでもいい、ほんの少人数でもいい、この現状に立った上で、この定義を少しずつでも、社会に浸透させるだけでも御神木製の釣りのお守りの存在意義があると思うのです。

 

 釣りに行く途中で、はやる気持ちを押さえられず交通事故に遭ってはなりません。また、自己新記録となる魚を釣ったり、大漁であったりしたとしても、釣り船が高潮に呑まれ、転落してはなりません。釣りをする人々は、その人々それぞれに目には見えない荷物を抱えて釣りをしているのです。釣りをすることを心待ちにして毎日の仕事に懸命に働いているのです。釣りを愛する人は、釣りで命を失ってはなりません。愛する釣りで命を失った人の気持ちを考えてみてください。「無念」という言葉だけでは済まされない深い悲しみがあるに違いないのです。

 

御神木製釣りのお守りの定義は、人の命の尊さと儚さを重視しているためその概念範疇が広い

 最後に、私の創る御神木製釣りのお守りの定義は、人の命の尊さと儚さを重視しているため、その概念範疇が広いのです。したがって、私の創る御神木製釣りのお守り現代アート作品は、釣行安全お守りであり、大漁祈願お守りでもあるのです。したがって、私の御神木製釣りのお守りの場合、現代アート作品に分類されるとともに、釣行安全お守りと大漁祈願お守りの二つのお守りは不要です。釣りのお守りは一つで充分なように御神体の宿る御神木を使用し、明確な概念定義をし、二つの祈念を込めて、精矛神社でお祓いとお清めを実施しています。

 

         

 私は、ブログを書き始めて3つめに、「釣りのお守りの原点は、途方もない喪失感と涙しか渡れぬ橋にあり」というテーマで自分の心を開き、本心を綴りました。

 

 命とは儚いのです。「儚い」という漢字の成り立ちは、人がまるで今まで生きてきたことが夢であったかのように思い込んでしまう状態のことを意味するものだと思うのです。なぜなら、私自身が二度の心肺停止と臨死体験を経験し、まだ8歳だった教え子の尊い命と未来を一瞬にして失ってしまった経験があるからです。ほんの40分前まで、私の膝の上に乗っていた女の子が、突然、理不尽で理解しがたい出来事に遭ったのです。その子のぬくもりは、未だに私の太ももに残っているのです、その子のあたたかいぬくもりが。

 

 人の人生には、それまで幸せだったのが、一転して、どん底の辛い目に遭う出来事があるのです。「辛い」という漢字は、「幸せ」という漢字から上の横線を取り除いただけで、「辛い」という漢字になります。つまり、ほんのわずかな気付きの失念や見落としが引き金になって、その尊い命とその未来を一瞬にして奪ってしまうことを忘れてはならないのです。

 

 どうか、皆さん、私が創る御神木製釣りのお守りの意味を、少しでも社会に還元する意味で、釣り仲間の人々にも伝えていただけないでしょうか。何とぞよろしくお願い致します。

 

 乾 丈太 拝

 

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