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御神木製釣りのお守りSafetyFirstこそが本当の釣りのお守りですか?

御神木製釣りのお守りSafetyFirstこそが本当の釣りのお守りですか?

 

 私が創っている御神木製釣りのお守りは、紙製品でもなく、ビニール製品でもなく、布製品もなく、石油で創られたプラスチックのキーホルダー製品でもありません。御神木世界遺産屋久杉の木工美術作品Modern Art Yakusugiの御神木製釣りのお守りは、御神木世界遺産屋久杉や国内外の御神木を用いて創っています。
 だから、本当の釣りのお守りとは、御神木世界遺産屋久杉や国内の御神木、国外の聖なる木と呼ばれる木材で創られた希少価値の高い世界遺産屋久杉の木工美術作品Modern Art Yakusugiの釣りのお守りです。

 

 皆さん、上記の文章を読んでどのように思われたでしょうか。

 

 さぞや多くの人が、次のように強い違和感と怒りを覚え、内心、次のようにつぶやいたに違いありません。

①「私のお守りは、釣行安全で有名な〇〇神社で買ったビニール製の釣りのお守りなのだ。これも立派な釣りのお守りだぞ。」

②「私が買ったお守りは、釣行安全で有名な〇〇神社で買った布製のお守りだ。ちゃんと神官からお祓いまでうけたのだ。布製の釣りのお守りを見下すとは、何事だ!」

③「釣りのお守りのキーホルダーも立派な釣りのお守りだ、とても気に入っているんだ、とやかく言われる筋合いはない。」

④「確かに、俺の釣りのお守りは、大量生産された布製の釣りのお守りだが、釣行安全と大漁祈願で有名な〇〇神社で買ったお守りだ。だから本当の釣りのお守りなんだぞ!」

 

 ここで、種明かしをします。実は、冒頭で書いた文章は、皆様からの誤解を恐れず、敢えて書いた文章です。したがって、前述した①から④の反応は、正常な反応であり、正しい見解だと思います。私ごときに、現在の様々な素材や形状をした釣りのお守りを否定する気はありません。また、否定できるはずもありません。このような思い上がった自分になろうとは思いません。むしろ、皆様の本音から学ぶべきことが多いように思います。

 

 つまり、人が購入した、或いはお祓いを受けた人それぞれの釣りのお守りによって心安らかに、釣りを安全に楽しめるならば、人が大切にしているそれぞれの釣りのお守りを否定することは、誤りでしょう。

 

 日本の釣りのお守りについて少しだけ考察すると、どれが本当の釣りのお守りであるか、という観念が一貫して論争を避けて、様々な釣りのお守りが存在し、様々な材料で生産され、釣りのお守りとして認められてきたのは、日本人の良さだと思うのです。他の国々では「本当の釣りのお守りはこうであるべきだ。」という発想で、融合できないところが少なくないのです。

 したがって、これが本当の釣りのお守りのあるべき姿だと無条件に肯定することも、いいや本来の意味とはかけ離れた間違ったものだと一刀両断にすることも、意味がないのです。インターネットの検索サイトGoogleを使って、釣りのお守りを検索すると、様々な種類の釣りのお守りがあることが分かります。

 

 また、検索サイトGoogleの「画像」を見ると、驚くほど様々な釣りのお守りが販売されており、中には威厳が伝わってくるような釣りのお守りもあれば、つい微笑んでしまうようなキーホルダーのかわいい釣りのお守りまで存在します。これらの画像で数多くの釣りのお守りをしばらく見つめていると、あることに気付かされます。

 

 それは、どういうことかというと、大切なのは、何が本物の釣りのお守りなのか、ということではなく、「自分にとって『必要な』釣りのお守りは何なのか?」という「問い」であるような気がします。そんなことを考えている最中、私は、過去に書いた日記の内容を思い出しました。その日記のタイトルは、興味深いことに「本当の自分とは」というタイトルでした。そのタイトルの日記を書くきっかけになったのは、教え子からの電話相談でした。

 

本当の自分と本当の釣りのお守り

 

 5年前の日記より一部抜粋

 

A君:「先生、本当の自分が分かりません。」

 3ヶ月ほど前に教え子のA君から電話連絡があった。私への電話連絡の8割は、嬉しい報告より深刻な相談事が多いと諦めている。A君からの電話も案の定、相談事だった。

 A君:「先生、〜で、〜だから、もう『本当の自分』が分からなくなりました。」

 

 私:「A君、もっと悩め。ちゃんと内容を整理して悩め。じゃあね。ポチッ・・・ツーツーツー。」
A君の話の内容に緊急性はない。敢えてもっと悩んだ方がこの子のためになると思い、電話を一方的に切った。
そして、その一か月後にA君から再び電話がかかってきた。

 

 A君:「先生、やっぱり『本当の自分』が分かりませんよ。頭がどうかなりそうです。」

 

 私:「はい、正解です。」

 

 A君:「はあっ?」

 

 私:「『本当の自分』は分かりません。それが正解です。」

 

 A君: 「はあっ?どういうことですか?」

 

 私は延髄梗塞で倒れ、手足が動かなくなり、心肺停止になってから今日に至るまでの経緯とその苦悩を話した。その上で、彼に告げた。

 

 私:「様々な状況に臨機応変に対応する『私』がいるよね。だから、その臨機応変に対応できるコアの部分が『本当の自分』だと思いがちだが、そうじゃないんだよ。それからね、理想の自分と現実の自分の状態像が離れれば離れるほど、『こんなはずじゃなかった。』『こんな自分は、本当の自分じゃない。』と思うのが人というものです。また、そのような反応が正常な反応というものです。

 

 実際に、先生(私)も、延髄梗塞で倒れ、心肺停止になったり、手足さえ動かせなくなったりした時、生まれて初めて本当の『絶望』の意味を知りましたよ。『途方に暮れる』という言葉がありますが、これからいったいどう生きていけばよいのか分からないという本当の意味を実感しましたよ。
 このような状態になるとね、『これは本当の自分じゃない。』と自分自身を認めなくなる。元気でばりばり仕事をこなしていた頃の理想の自分と集中治療室で寝たきりの現実の自分の状態像が離れれば離れるほど、『本当の自分』に固執するようになるんだ。そして、長い間、もがき苦しむんだよ。分かるかい?」

 

 A君: 「はあっ、言っている意味は分かります。」

 

 私:「じゃあ、ロジックで筋道立てて説明するね。本当の自分を、本当の自分だと決めるのは、今の自分かね?そう決める今の自分は『本当の自分なのかね』?

 

 今の自分を本当に本当の自分だと証明できる確たる証拠があるのかね。論理的で妥当性や客観性のある根拠があるのかね?妥当性や客観性のない主観的な根拠しか言えないだろう?
だからね、つまり、『この問いそのものがおかしいわけよ。』、『この問いそのものが真の問いとして成立できないんだよ。」

 

 私:「 例えば、唐揚げのイカリングに例えると、実態としてのイカリングはそこにある。それが自分。ところがイカリングの真ん中はどれも空いている。『はい、これが本当の自分ですと断定しても、イカリングの真ん中には実体がない。実体のないものは説明のしようがないし証明のしようがない。つまり、主観的な考えや気持ちしか述べられないんだよ。』そういうものなのです。『これが本当の自分ですと伝えたところで、それを決める自分は本物なのかってことです。』だから、問いとして成立しないわけです。ロジックで考えても成立しない。だから、A君、本当の自分を探しても無駄。問いとして成立もしないし、ロジックとしても成立しない。

 

 それより、A君、あなたが求めるもの。あなたがやりたいこと。あなたが手に入れたいこと。あなたがしたいこと。あなたが好きなこと。あなたが取り組んでみたいこと、それがあなたにとって、本当に大切なのさ。

 

 『本当の自分』を感情のままに決めつけて、勝利者か敗者か?勝ち組か負け組か?名誉か恥か?善か悪か?誇らしいか恥か?こういう関係を二項対立って言うんだけど、そんな二項対立で自分を決めつけたらいけないよ。
この世の中は、全ての事象が二項対立で分けられる、そんな単純なものじゃない。A君、あなたがしたいこと、あなたがやりたいこと、あなたが好きなこと、そこにあなたの本当の「姿」がある。

 

 A君:「先生、『本当の自分』について考えこむより、『自分が本当にやりたいことや手に入れたいこと、好きなことを考えていけばいいんですよね?』僕、難しく考えすぎました。自分が本当にしたいことや手に入れたいことをやりたいと思います」

 

 私:それがいいよ。その方が現実的だよ。

 

 人は、様々な状況に臨機応変に対応する「私」がいることを知っています。だから、その臨機応変に対応できるコアの部分が『本当の自分』だと思いがちになるのです。また、自分が描く理想像に近い状態で生きている様を『本当の自分』だと思い込んでしまうものなのです。それより大切なことは、自分がやりたいことやしたいこと、好きなことを探し、没頭する方が現実的であり、『本当の自分』という呪縛から解き放たれると思います。

 

まとめ:本当の釣りのお守りとは

 

 本当の釣りのお守りとは、人が購入した、或いはお祓いを受けた人それぞれの釣りのお守りによって心安らかに、釣りを安全に楽しめるならば、人が大切にしているそれぞれの釣りのお守りを否定することは、誤りだと確信します。したがって、これが本当の釣りのお守りのあるべき姿だと無条件に肯定することも、釣りのお守り本来の本当の姿とはかけ離れた間違ったものだと一刀両断にすることも、意味がないのです。大切なのは、何が本物の釣りのお守りであるか、ということではなく、「自分にとって『必要な』釣りのお守りは何なのか?」という「問い」であるような気がします。

 

 

釣りのお守り 御神木伊佐桧DRAGON no.7

 

世界遺産屋久杉DORAGON no.1

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